小五郎の日記

メルキド出版 編集長の記録

反撥

 

ニーチェ全集〈4〉反時代的考察 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈4〉反時代的考察 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

 

 

読書について

読書について

 

 

さて、今日は過去の自分のブログに抗してみたい。

まずは、「絶対に現代的にあらねばならない」としたこと。

これはニーチェの『反時代的考察』で反論できる。

大学のテストで、このニーチェの反時代的な物事と反対、つまりは時代的な物事の例を挙げよという設問で、「学歴」と解答してしまい評定Cだったことがあったけど、つまりはこれは近視眼的な流行や風俗に当たる、現代のベストセラー小説やミリオンヒットの歌、満員御礼の映画などのことだろうか。

よって反時代的とは現代的ではない、時代を超越した普遍的なものとなる。

ニーチェは、この著作で時代的なものを否定し、反時代的なものを肯定する。

といってもワーグナーを評価するわけだけど…

ニーチェなら現代海外文学は時代的なものにするだろうか。

まあ、作家によるのだろう。

諏訪哲史文芸誌のエッセイとかで反時代的になるよう主張していた。

ニーチェの師匠のショーペンハウエルなんかも『読書について』とかで、題名だけ知っている古典を読めと述べていた。

だから、『ドン・キホーテ』や『白鯨』なんかの反時代的小説を読もうともしたが、これがなかなか難しい。

ゆえに、読みやすいから思わず現代日本文学を手に取っちゃうわけだけどね。

つまりは、ニーチェワーグナーを見出したように、現代の中で、反時代的なものを自分の目で探せばいいんだ。 

 

つぎは、読書に対し不真面目な態度を取ってしまうのを改善したいということ。

これもニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』で反駁できる。

ニーチェはこの著作の中でこう述べる。

「わたしは読んでばかりいる怠惰な者を憎む(略)万人が読むことを覚えるということは、長い目でみれば、書くことだけではなく考えることも損ねてしまう」(P64)

小林秀雄も『読書について』の中で、ゆっくり考えながら読めと述べていた。

もちろん遅読、少読の弊害は多々あるだろうが、速読、多読の弊害も大きいのだ。

要は、自分がどちらのタイプか知ることだ。

私は、木村榮一が『若い小説家に宛てた手紙』の解説で紹介した、A・チボーデのいう読者(レクトゥール)ではなく、精読者(リズール)でありたい。

 

 

 

 

時よ止まれ

 

 

ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

 

 

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

 

 

 

ある島の可能性

ある島の可能性

 

 

 

白い城

白い城

 

 

震災後から、死を意識し、生きているうちに読み終えられるようにと長篇を読みだした。

まずは敬愛する作家、阿部和重がデビュー前に完読していたという『ドン・キホーテ』と『失われた時を求めて』、それから保坂和志の影響で『城』をちょびちょびと読み始めた。

あれから4年半、『ドン・キホーテ』は「前篇(一)」の184ページまで、『失われた時を求めて』は「スワン家のほうへⅠ」の84ページまで、『城』が246ページまでで止まっている。

すべて文庫での換算。

これでお判りの通り、先の二つは全巻読破はとうの昔から諦め、一冊分だけ読み終えようと考えを改めた。

目標としては50才になるまえには達成すればいいか、となんともスロー・ラーナーな思考…

そういえば、太田光は『ドン・キホーテ』を読破したそうだ。

あと、ナボコフが「スワン家のほうへ」だけ激賞しているようなので、最低それだけは読むのもいいかもしれない。

ほかにも読みかけの本があり、まだ読む気力が残っているのは、『ある島の可能性』や『白い城』それと町田康の『告白』あたりだ。

それぞれ、120ページ、116ページ、298ページまでで止まっている。

双子座のO型のせいか、ほんと気が多くて、軽薄で困る。

これだけ本がちゃんと読めないとなると、大した作品が書けないのも頷ける。

若い世代には、諏訪哲史ほどではなくても、又吉直樹くらいは本を真面目に読んだほうが、あとあといいとアドバイスしたい気もするが、自分にはもう無理なんだと思う。

地頭というか自力が足りないのは、子供からの積み重ねと性格を変えるだけの訓練を若いうちから軽視したせいだろうか。

秋に発行する予定の拙著「挿絵を取り除いた生真面目な書物」は、当初「挿絵を取り除いた不真面目な書物」にしようと考えていた。

大江健三郎は真面目さが大切だと、最近のスピーチで群衆に呼びかけていたけど、私は根っから不真面目だった。

それは、生真面目になろうとすると必ず人生で大失敗を繰り返してきたための予防本能みたいなもので不真面目のスタンスを築いてきたわけなんだが…

まあ、自費出版のタイトルを「生真面目」に直したのが、またの人生の大失敗へと舵を切ったことにならぬよう、絵空事ではない地に足の着いた「生真面目」さになれるよう、デリダの「不実な忠実」も胸に秘め、これからの余生を過ごしたい所存である。

 

 

 

絶対に現代的であらねばならない

 

 

 

ランボー全詩集 (河出文庫)

ランボー全詩集 (河出文庫)

 

 

 

 

通話 (EXLIBRIS)

通話 (EXLIBRIS)

 

 

 

Klaus Nomi - The Essential

Klaus Nomi - The Essential

 

 

ザ・コレクション~ベスト・オブ・クラウス・ノミ

ザ・コレクション~ベスト・オブ・クラウス・ノミ

 

 

タイトルは、ランボーの「訣別」(鈴木創士訳)からです。

なんか気になって、海外現代文学をもっと読もうかな、なんて思ったもんです。

今年は、緊張型頭痛や閃輝暗点があって、読書をかなり控えた期間がありました。

そんななかで、『通話』や『売女の人殺し』『アサイラム・ピース』なんかの短篇集ばかりを辛うじて読んでいました。

ガルシア=マルケスの代わりを星野智幸で済ましちゃおうなんていう罰当たりの私ですが、ボラーニョとカヴァンは最高でした。

といってもやはり彼らの長篇を読むのには二の足を踏んでしまいます。

なので短篇集の流れに乗って、『歩道橋の魔術師』『ジーン・ウルフの記念日の本』それと『サミュエル・ジョンソンが怒っている』(8月31日発売)などを読もうかなと画策しております。

短篇!

いまは、これですね。

100枚以内の。

最近は、ラジオが面白いです。

日曜日は、『英語で読む村上春樹』(「TVピープル」)を聴きました。

「blar」が戯言の意味で、「blar blar blar」なんていう言い回しもあるようです。

オルタナバンドのBlurは、なんだろうかと調べたら、曇りとかぼやけたという意味でした。

今日は、『ミュージック・イン・ブック』を聴きました。

ホストは松浦寿輝で、ゲストは町田康

フランク・ザッパルー・リードクラウス・ノミの曲が流れました。

奥さんによるザッパ禁止令や、貧しい時代のザッパ貯金の話が興味深かったです。

新聞の情報では、町田さんの奥さんはペットのお店を経営しているそうですね。

いまは『AKBのANN』を聴いています。

お後が宜しいようで…

ここから、はじまる

 

 

 

 

  

 

ちいさなこと (講談社Birth)

ちいさなこと (講談社Birth)

 

 

 

 

少女幻想譚 (隙間社電書)

少女幻想譚 (隙間社電書)

 

 

GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01

GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01

 

 

 

GRANTA JAPAN with 早稲田文学 02

GRANTA JAPAN with 早稲田文学 02

 

 

 眼精疲労で、GOROの日記を中断してから、いったいどれくらいの時間が経過しただろう。

 

そもそもブログを始めたのは、2009年の8月1日だったような。

あれから、6年経ったのか。

最近は、ツイッターばかりで、体力的にブログは敬遠してきた。

 

しかし、崩れる本棚さんの「崩れる通信」や、隙間社さんの「弊社日記」などの活動に刺激を大いに受け、むくむくとやる気が湧いてきた、といったところか。

 

眼の調子は、コーワの「Q&Piプラス」を飲んでよくなってきて、これも再開の大きな要因の一つだ。

 

といっても、まえのように毎日精力的に更新し続けることは、40才を過ぎてしまったいまとなっては、到底無理だろう。

 

特になにか事件があったときとか、なにか創作に煮詰まったときとか、そんなこととはまったく無関係にともかく徒然に気まぐれに、ただただ惚けた顔で、このブログをこれから始めたい、と思う。

 

わたくし、小五郎は、文芸同人誌「メルキド」の発行を10年ばかりお手伝いしている愛知県在住の独身男である。

 

と、自己紹介しても、なんら食いつく人は、いないでしょう。

 

まあ、本を買うばかりで、まったく読まない、怠惰な創作家の小五郎、といった感じだ。

 

今秋の東京文学フリマに、サークル参加する予定なので、同人誌発行もこれから始めていかなければならない。

 

それと、GRANTA JAPANの公募も、同時進行だ。

 

色々と、大変そうだけど、今日はこのあたりで失礼します。

 

では、また。