小五郎の日記

メルキド出版 編集長の記録

時よ止まれ

 

 

ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

 

 

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

 

 

 

ある島の可能性

ある島の可能性

 

 

 

白い城

白い城

 

 

震災後から、死を意識し、生きているうちに読み終えられるようにと長篇を読みだした。

まずは敬愛する作家、阿部和重がデビュー前に完読していたという『ドン・キホーテ』と『失われた時を求めて』、それから保坂和志の影響で『城』をちょびちょびと読み始めた。

あれから4年半、『ドン・キホーテ』は「前篇(一)」の184ページまで、『失われた時を求めて』は「スワン家のほうへⅠ」の84ページまで、『城』が246ページまでで止まっている。

すべて文庫での換算。

これでお判りの通り、先の二つは全巻読破はとうの昔から諦め、一冊分だけ読み終えようと考えを改めた。

目標としては50才になるまえには達成すればいいか、となんともスロー・ラーナーな思考…

そういえば、太田光は『ドン・キホーテ』を読破したそうだ。

あと、ナボコフが「スワン家のほうへ」だけ激賞しているようなので、最低それだけは読むのもいいかもしれない。

ほかにも読みかけの本があり、まだ読む気力が残っているのは、『ある島の可能性』や『白い城』それと町田康の『告白』あたりだ。

それぞれ、120ページ、116ページ、298ページまでで止まっている。

双子座のO型のせいか、ほんと気が多くて、軽薄で困る。

これだけ本がちゃんと読めないとなると、大した作品が書けないのも頷ける。

若い世代には、諏訪哲史ほどではなくても、又吉直樹くらいは本を真面目に読んだほうが、あとあといいとアドバイスしたい気もするが、自分にはもう無理なんだと思う。

地頭というか自力が足りないのは、子供からの積み重ねと性格を変えるだけの訓練を若いうちから軽視したせいだろうか。

秋に発行する予定の拙著「挿絵を取り除いた生真面目な書物」は、当初「挿絵を取り除いた不真面目な書物」にしようと考えていた。

大江健三郎は真面目さが大切だと、最近のスピーチで群衆に呼びかけていたけど、私は根っから不真面目だった。

それは、生真面目になろうとすると必ず人生で大失敗を繰り返してきたための予防本能みたいなもので不真面目のスタンスを築いてきたわけなんだが…

まあ、自費出版のタイトルを「生真面目」に直したのが、またの人生の大失敗へと舵を切ったことにならぬよう、絵空事ではない地に足の着いた「生真面目」さになれるよう、デリダの「不実な忠実」も胸に秘め、これからの余生を過ごしたい所存である。